東京地方裁判所八王子支部 昭和39年(ワ)152号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕原告は、本件賃借三室の使用目的の変更は原告の自由任意であるとの主張を前提として被告の不法行為の成立をいい、また三室賃借権の妨害をいい、妨害予防請求権の存在をいう。
(一)しかしながら、本件立証によるも、原告が本件賃借三室を自己の法律事務所以外に任意自由に変更できる旨の合意の成立を認めることのできる証拠はなく、かえつて(証拠―省略)に弁論の全趣旨を綜合すれば、被告が原告に対し法律事務所以外の目的に使用しないことを要請したのに対し、原告は、当時中央大学在学中の娘が司法試験に合格し弁護士の登録をするまでの間は原告の法律事務所以外の目的にも使用できることを契約内容としようとし、(原告には従前東京都大田区大森に税理事務所に併設した法律務所があつた。)被告はこれに対し、そのような場合においては改めて協議し双方円満協定することにしてもよいが、正式に契約内容とすることはできないと拒絶したことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。その後昭和三六年四月五日作成された公正証書の第四条第五項の契約解除の原因条項の第三号のうち、「使用目的を変更し又は」の文言が公証人によつて一旦記載された上から同じく公証人によつて削除されていることは当事者間に争いなく、右削除が賃貸人たる訴外小泉光明の承諾に出でたことは、原、被告本人尋問の結果によつて認められるところであるが、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に照らすと、右削除は、単に、公正証書上、契約解除の原因約定条項から「使用目的変更」を削除しただけで、進んで原告が自己の任意自由に使用目的を変更できる旨を光明において積極的に合意したものとは認めがたい。そうであつてみれば、原告が法律事務所以外に使用目的を変更するについては、叙上認定の経過を無視し、使用目的変更の自由について合意ありとし、または公正証書の右条項削除の事実を捉え、一方的変更の自由を主張し強行することは、本件契約の本旨上も信義則上もゆるされないものと解せられる。
そして原告が本件三室の使用目的を変更して「多摩タイプ学院」なるタイピスト養成所を開設せんとして、賃貸人に一方的に通告しただけでその承諾を得ず協議協定を経ることなく、右使用目的変更が原告の任意自由であるとの一方的見解を固執し使用目的変更を強行実現しようとしたことは、(証拠―省略)並びに弁論の全趣旨によつて明らかであつて、この点だけからしても原告において本件賃貸借契約の本旨並びに信義則に違反するところありといわねばならない。
(二) しかのみならず、原告が開設しようとした「多摩タイプ学院」なるタイピスト養成所の実現によつて本件建物および関係者がどのような影響を受けるかについてみるに、前顕甲第七号証(多摩タイプ学院規則書)、第八号証(募集ポスター)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、入学資格は中卒以上の男女とし、タイプライター一〇台を備え、授業時間は日曜祭日を除き毎日午前九時から昼間部、夜間部に分けて午後八時までとし、和、英各科につき本科、速成科、研究科、自由練習科を設け、入学日は随時、授業内容は、本科は隔日二時間制又は毎日一時間制の練習で四ケ月で修了、速成科は毎日二時間の練習で約二ケ月で修了とするものであつて、右授業時間中は、タイプライター一台に生徒一人の割当てとして一時点に一〇人の生従が二室に在ることを予定し、一時間ないし二時間置きに異つた生徒が立ち替り入れ替るのであるから、一日の延人員はかなりの数となるほか、授業実施中一〇台のタイプライターが継続的に打機音を発するものと認められるところ、(証拠―省略)によれば、本件建物はもともと店舗兼事務所として建築せられた木造二階建建物で、階下は司法書士、不動産業者、飲食業者に分割賃貸され、階下残部は被告の母が経営する煙草店舗および居室となつており、二階のホール一室は訴外東京生命保険株式会社に賃貸され、残三室を原告に賃貸しているものであつて、本来の使用目的からいつて、階下は店舗ないし事務所、二階は事務所ないし少なくとも同類型の目的に使用せられるべきものであり、建物構造および堅固の程度からも、前認定のような多衆の出入は予想されておらず無理があり、また分割賃借人らの共同使用の建物である点からいつて、本件三室を前認定のように使用するということになると、防音、衛生(特に多衆に対する便所施設の不十分)、防犯の各面につき他の賃借人らに対する配慮上それ相応の施設を要するにかかわらず、本件建物はかかる使用を予想しないが故に相応の施設を有せず、これら各面にわたり弊害を生ずること明らかであることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はないので、原告の企図する使用目的は、本件三室が建物賃貸人によつて予定され且つ事物として客観的に有する使用目的に適せず、賃貸人の承諾の有無の点を離れても客観的に賃貸借契約の本旨に反し、その一方的強行はこの点からしても信義則に反するものである。
(三) 被告は、以上のように賃貸借契約の約旨ないし本旨に違反し信義則に違反する賃借人の使用行為に対してこれを阻止するための自救行為は必要最少限の程度にあつては違法性を欠き不法行為にならない、と主張する。かかる場合、不法行為の成否は、違反行為と阻止の自救行為とのそれぞれの態容、結果その他諸般の事情を綜合し衡量して衡平の原則によつて判定されるべきものと解せられるところ、
(1) 他人に賃貸した二階の室の道路に面した窓硝子の一部に新聞紙を糊貼りすることが、たとえ賃借人の自ら貼布した紙看板に外側から重ねるだけであろうとも、客観的に硝子窓の美観を害し採光を妨げその他硝子窓の効用を害し延いて室の効用、室の使用による事実上の生活利益一般を害する。賃借人が債務の本旨に反し紙看板の掲示を含めて室の違法不当の使用をする場合でも、この意味から少くも室の占有権の侵害はあるといわねばならない。しかし、不法行為が成立するかどうかについてはさらに判断を進めなければならない。
(2) 原告本人尋問の結果によると、原告は東京都大田区大森に税理事務所を有し、本件三室賃借前は法律事務所をも併設していたところ、本件三室に法律事務所を開設したため、二箇所に法律事務所を有するとの世の疑惑を避けるため、昭和三九年一月本件三室における法律事務所を閉止し、旧のごとく大森に併設するに至つたので、被告の阻止行為当時は三室は多摩タイプ学院入学申込者の電話問合わせや来所者に対する受付事務にのみ使用されていたことが認められる。すなわち、いわば賃貸借契約違反行為遂行目的のみに供せられていたものである。かかる原告の正当ならざる室使用利益は不法行為制度における衡平の原理によつてみれば、被侵害利益として極めて価値低きものである。しかも、糊貼り新聞紙の除去は事柄として原告においていつでもさしたる費用労力を要せずしてできることであり、被告の任意の除去行為や協力は事の性質上全然必要としない。原告は賃借人として占有を妨害されながらもこれを失つておらず、自己の占有権に基づいて妨害を除去できる。原告は右新聞紙のため多摩タイプ学院の開設が中止の止むなきに至つたように主張するけれども、そのような因果関係はにわかに認められない。仮りに新聞紙によつて紙看板がかくされたための申込者がなくて開設ができなかつたというのであれば、それは原告が通常人に期待されるところに反し妨害を除去せず手を束ねてそのような結果を自ら招いたものというべく、被告の新聞紙糊貼り行為が結果として原告に与える損害を拡大して考えることは正当に避けられなければならず被告の行為の実質的な加害性は軽微である。
(3) 階下の出入口扉の貼紙剥ぎ取りについては、(証拠―省略)によると、本件建物の分割賃借人らの共用扉に貼紙されたものであるから、原告は扉の単独占有権を有せず、他の賃借人らとの共同占有および賃貸人の占有管理の制約を受けるのである。それに加えて、貼紙は原告が自己の契約違反行為を推進するための手段行為ということになる以上、賃貸人側に剥ぎとられても原告は不法行為制度によつて保護されるべき正当の利益を有しないものと解せられる。
(四) 以上(一)ないし(三)を綜合して判断すると、被告の二階窓硝子への新聞紙糊貼りおよび階下共同扉への貼紙除去はいずれも不法行為を成立せしめるに至らないものと解するのが相当である。(立岡安正)